てのひら 平助は上機嫌だった。 このところ千鶴が風邪を引き、屯所にずっと引きこもりだったので当然夜の見廻りも出来なかった。 見舞いに行きたかったが既に死んだことになっている身の平助が行けるはずもなく、土方が寄越す伝達係の山崎を捕まえては様子を聞いていた。 そして、ようやく土方さんの許可が下りて夜の見回りに復帰できるのだ。 …そろそろ千鶴の来る時間だ。 夜中は羅刹達の気が立つこともあって、千鶴が見廻りに加わる時はいつもより早めに町に出る。 そわそわした様子で自室を出て廊下を曲がる、と明るい千鶴の声が聞こえてくる。山南と話しているようだった。 「…そうなんです、原田さんてば私をからかうんですよ!」 酷いですよね、と言って千鶴は頬を膨らましている。 そんな姿も可愛い、と思ってしまう。 こんな可愛い女の子を男と間違えたとは平助としては思い出したくない過去だ。 「原田くんは女性を戦わせたくないんですよ。そういうことを気にする人ですから。まぁ…藤堂くんか斎藤くんあたりなら真面目に見てくれるんじゃないでしょうか」 眼鏡を持ちあげて山南が呟いた。 「そうですね…あ!平助くん!」 こちらに気付いた千鶴が嬉しそうに手を振る。 自分の名前が出た後なのでそれを聞いていたと思われるのは少し気まずい気もしたが、素直に喜んでいる千鶴に手を振りかえし会話に加わる。 「何の話をしてたんだ?」 「いえ…彼女が剣術を見てほしいと」 山南がにこりと笑って答える。 「そう!短刀は多少扱えるんだけど戦力にはなれないから…自分の身くらいは守りたいし」 千鶴が顔の前で手をあわせてお願い、と目を瞑る。 「え、俺?まぁ出来なくはねぇけど…」 平助はちらり、と山南の方を見る。 先ほどの言葉が蘇る。 『原田くんは女性を戦わせたくないんですよ』 俺だって千鶴を戦わせたくない、そう口に出しそうになる。 「………と、その話は後だ。もう見廻りに出ないと」 「そ…そうだね、じゃあ山南さん、また後で」 微笑んで千鶴は山南に頭を下げる。 話を反らしたことが拒絶だと思ったのだろうか、上手く笑えていなかった。 自分は何の力にもなれないんだ、という諦めの滲んだ表情。 守られることに引け目を感じることはないのに。千鶴の表情が胸に引っかかる。 その肩を引き寄せて頭を撫でてやりたい衝動にかられる。 自分のこの気持ちをすぐに伝えられたら彼女の気持ちは少しは軽くなるだろうか。 千鶴の空っぽの右手を自分の左手でぎゅっと捕まえる。 「へ…平助くん?」 突然のことに千鶴が驚きの声をあげる。 千鶴の手は小さい。柔らかい。平助の骨ばったとした手とは違う。 「行こう、千鶴」 戸惑う千鶴のことはおかまいなしに平助は笑って手を引っ張る。 外には青い月が出ていた。 「あの…平助くん、手…」 「…嫌か?」 意地悪な質問だった。千鶴は顔を真っ赤に染めたままうつ向く。 「俺の右手は人を斬る手、左手は…お前を守る手だ」 「……」 「今、そう決めた。だから…っておい!な、泣くなよ」 千鶴がうつ向いたまま肩を震わせて鼻をすすっている。 今から大事なことを言おうとしたのに話の腰を折られ、平助もどうしていいか分からず戸惑ってしまう。 「……っ」 微かに千鶴の言葉がする。上手く言葉になっていないが、平助は千鶴の顔を覗きこむようにしてその声を聞き取ろうとする。 「わたし…私ね、平助…くんに沢山助けて貰ってるから…何かしなきゃって」 平助の優しい瞳が一層千鶴の胸を締め付ける。 そして分かってるよ、と言うように頷いて、ただ言葉を待ってくれているだけで無力な自分を包みこんでくれる気さえする。 「…ごめんね」 そう言って顔を歪める千鶴が痛々しかった。 平助は手を千鶴の頭に延ばしていた。撫でると柔らかい髪の感触が心地良い。 「馬鹿だなぁ…女を守るのは男の仕事だぜ…って左之さんの受け売りだけど」 平助が笑ってみせるとつられて千鶴も笑ってしまう。 『だから、ずっとそばに居てくれよ』 千鶴の笑顔にどきどきしてしまってその一言が言えないまま、平助は手をひいて歩き出す。 今日の見回りはいつもより遠回りして帰ろう、なんて隊長らしからぬ事を考えながら、闇に紛れていった。 終 |